ささやか
こんなところに木苺が!!
丘へハイキングに行ったわけでもなんでもなくて、
六本木の
車の行き交う通りの道端。
誰も目をやらず足早に通り過ぎてく。
何故こんなとこに・・・??
って、
こんな発見ができるのも、
カメラと共に歩いているおかげ。
ささやかな喜び。
写真ばっかり撮って、
その場で本物をちゃんと味わってないんじゃないの?
って言われたりすることもあるんだけど、
うーん、、どうなんだろう。
確かに、撮りながらそれが像となって現れるイメージに頭がいっていたり、
意識がそこにないことも、無いとは言えないけれど。
(余談:今、‘識域’という言葉に興味がある。)
でも、どちらかというと逆に、
写真を撮っているからこそ、じっくりとその場の空気を味わってる。
ものすごくいろんなことに神経を研ぎ澄ましていて、
詳細にそのシーンを捉えている。
のちのち、誰よりもその時を明確に思い出すことができる。
写真は、
観たものを解釈するための翻訳機みたいなものだな、とふと思った。
世の中不可解なことに満ち溢れてるから、
立ち止まって、じっくり考える時間が必要だと思う。
膨大な情報の波に呑み込まれてしまわないように。
丘へハイキングに行ったわけでもなんでもなくて、
六本木の
車の行き交う通りの道端。
誰も目をやらず足早に通り過ぎてく。
何故こんなとこに・・・??
って、
こんな発見ができるのも、
カメラと共に歩いているおかげ。
ささやかな喜び。
写真ばっかり撮って、
その場で本物をちゃんと味わってないんじゃないの?
って言われたりすることもあるんだけど、
うーん、、どうなんだろう。
確かに、撮りながらそれが像となって現れるイメージに頭がいっていたり、
意識がそこにないことも、無いとは言えないけれど。
(余談:今、‘識域’という言葉に興味がある。)
でも、どちらかというと逆に、
写真を撮っているからこそ、じっくりとその場の空気を味わってる。
ものすごくいろんなことに神経を研ぎ澄ましていて、
詳細にそのシーンを捉えている。
のちのち、誰よりもその時を明確に思い出すことができる。
写真は、
観たものを解釈するための翻訳機みたいなものだな、とふと思った。
世の中不可解なことに満ち溢れてるから、
立ち止まって、じっくり考える時間が必要だと思う。
膨大な情報の波に呑み込まれてしまわないように。
by artandact
| 2008-05-25 23:31
| 心境